今も歌い継がれる「ゴスペル」の歴史

「天使にラブソングを2」をはじめとして、「ファイティング・テンプテーションズ」とか、その名も「ゴスペル」などと、ゴスペルの魅力を発見でき、堪能できる映画はたくさんあります。

またゴスペル音楽を経験してきて一流のミュージシャンになった方にも、ゴスペル音楽の流れを汲みながら活動しているサム・クックやジェームス・ブラウンがおり、またゴスペル音楽の歴史に影響受けたミュージシャンには、マーヴィン・ゲイやアレサ・フランクリンなどがおり、いずれの形にしても私たちはゴスペルの一端は見聞きしたことがある人は多いと思います。もちろん讃美歌や結婚式、最近ではフラッシュモブなどで、ゴスペル音楽を聴いた方もいるでしょう。そんな人々を魅了するゴスペル音楽の歴史はどのようなものだったのでしょうか。

ゴスペル音楽は、17世紀のアメリカの奴隷制度と大きな関係があります。

奴隷としてアメリカに連れてこられたアフリカ人たちは、アメリカ人が都合よく奴隷として働いてもらえるように自分たちの言語や宗教をはく奪されました。そして、よりアメリカ人に都合が良くなるように聖書を教わるのです。そのような中で、過酷な生活・労働下において少しずつ黒人たちは、聖書に救いを求めていきます。聖書の中の言葉の「自由」や「解放」という言葉が、奴隷制度からの解放を意味すると感じ、アフリカ人の独特のリズムと合わさり、初めは個々人たちによって口ずさまれた歌でした。そのうちにアメリカ人の目に触れぬように、夜中にこっそりと集まれる場所「Hush Harbor」(見えない教会)で自分たちの礼拝をもち、そこで歌って踊っていた音楽がゴスペルの原型である「The Sprituals」と言います。黒人霊歌とも言います。

この音楽がアメリカやヨーロッパなどに伝わった経緯は、アメリカ人とアフリカ人の間に生まれた子供達の学校「Fisk School」が財政難となり、それを救うために「Fisk Jubilee Singers」という合唱団を結成し、各地を周り「The Sprituals」を披露し寄付を募りました。

それが徐々に、白人たちの高い評価を得ることとなり、ヨーロッパでの公演でも評価を受けることで、この音楽「The Sprituals」が伝わっていきました。

「ゴスペル」と呼ばれるようになったのは、1930年代に、ブルース音楽で有名であった「トーマス・A・ゴーシ―」が教会音楽に傾倒し、「The Sprituals」とブルースが合わさった、新しい音楽が生まれました。それは「ゴスペル」と呼ばれるようになったのです。

そして、その「ゴスペル」は、さまざまな音楽が入り混じりながらも、大勢で3声で歌うスタイル=クワイヤ・スタイルが、全米や世界で浸透していき、教会音楽にとどまらず、今でも歌い継がれているものとなっています。

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