歴史を知ることでより理解が深まるゴスペルの世界

ゴスペルと聞いて何を連想しますか?W.ゴールドバーグの「天使にラブソングを」の「OH Happy Day」は有名です。1960年代の黒人メイドの生活を通して人種差別を描いた映画「ヘルプ」でも、効果的にゴスペルが使われています。
前向きで力強い印象のゴスペルですが、その歴史を紐解いていくと、アフリカ系アメリカ人のたどってきた悲しい過去に直面することになります。しかし、その事実を知ることが、ゴスペルの理解を深めることとなりますので、一緒にたどってみましょう。
アフリカ系アメリカ人が奴隷として北アメリカに連れてこられたのは、1619年のことです。ゴスペルの歴史は奴隷の歴史をたどることと言っても過言ではありません。アフリカ大陸から劣悪な環境の奴隷船に乗せられてアメリカにやってきた彼らは、各港にある奴隷市場で家族や部族をバラバラにされて売られていきました。そして白人の奴隷主の元、母国語はおろか英語を学ぶことも禁じられたといいます。
しかし、19世紀になると奴隷たちにもキリスト教が布教されるようになります。過酷な環境下にあった奴隷たちは、旧約聖書におけるユダヤ人たちの困難とモーゼに解放される運命に自分たちの運命を重ねることにより、救いを見出したと言われています。こうして彼らは聖書の言葉やその歌を彼ら特有の素晴らしい耳で覚えていきました。その歌に自分たちのリズムやビートをつけて、彼ら独自の音楽を作り上げました。これがスピリチュアルという黒人霊歌であり、後にゴスペルへと進化していきます。1865年に奴隷解放が行われても人種差別がなくなるわけではなく、黒人教会において彼らは独自の宗教音楽を発展させていきます。
20世紀に入るとスピリチュアルは伝導音楽となり、これが現代ゴスペル音楽の基礎となります。教会ではほとんどの人が歌に参加して、大声で歌うスタイルができました。
1930年代、「ゴスペル音楽の父」と言われているトーマス・A・ドーシーは最初のゴスペル出版社を開き、歌手サリー・マーティンと多くの作品を売りました。40年代50年代になると、ウィリー・メイ・フォード・スミスやマヘリア・ジャクソン等多くの女性歌手が活躍するようになります。
1960年代の公民権運動時代に、ゴスペル音楽は卑劣な人種差別に抵抗する人々の常にそばにあるものでした。彼らは「Oh Freedom」などをデモ行進しながら歌ったといいます。
80年代は、多くのマス・クワイヤーが創設された時代です。黒人教会ではすでに確立されていたクワイヤーのスタイルを音楽的に確立したのが、ゴスペル界の皇太子と呼ばれたジェームズ・クリーブランドです。彼がゴスペルクワイヤーの発展のために設立したGMWAという団体は、今日では世界中に185の支部を持ちます。
現代、ゴスペル音楽は、伝統のものとポップ音楽の音に頼るコンテンポラリーゴスペルに進化し、アメリカ音楽に欠かせないジャンルとして確立されています。
英語では福音の意味を持つゴスペルとは、アフリカ系アメリカ人たちにとって、神への祈りの歌だけではなく、自由への切なる願いのこもった音楽なのです。

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